edamameのテレビブログ

テレビ番組の感想を思いつくまま書いてます ゆるりとした時間のおともに

2024年1月1日

 昨年のお正月の日本はまだコロナ禍にあったが、2024年はコロナ前の穏やかなお正月になるはずだった。ところが、少し日が陰って来た夕方にその状況は一変する。

 能登半島で大きな地震が起こり、大津波警報が発表された。お正月モード全開だった番組は報道番組に切り替わる。画面には海岸の映像と「にげろ」という大きなフォントの文字と津波の情報。高い場所への避難を促すアナウンサーの声に緊張感があり、こちらまでドキドキしてしまった。

 夜になっても地震の報道は続いた。テレビをザッピングしていたら、テレビ東京だけが「出川哲朗の充電させてもらえませんか。」を放送していた。画面の右側に大きな日本地図と津波の注意喚起はあったが、マイペースな長嶋一茂さんとてっちゃんの珍道中を見てちょっとホッとした。「充電させてもらえませんか」はほどよい面白さで、地震情報と合わせて見ていても嫌な気分にはまったくならなかった。

 その後は地震の報道を続ける局と予定どおりの番組を放送する局に分かれていた。でも、私はテレビを見るのを止めた。ずっと地震の報道を見るのもしんどいし、バラエティを見て笑う気持ちにもならなかった。3.11を思い出して心がずっとざわざわしていた。

 災害が起こったときのテレビ局の対応は何が正解なのだろう。スマホが普及していても、スマホを情報ツールとして使っていないシニアも多いので、テレビが今も情報を提供する大きな役割を担っている。かといって、全局で長時間報道する必要も感じていない。

 私の理想としては、災害が起こったばかりのときは、NHKと民放のどこか一局がずっと地震津波の詳しい情報を提供し、他の局はテロップで災害の情報を入れながらほどよくホッとする番組や映像を流すのがいいと思っている。部屋がグラグラしている映像や波がバシャーンと打ち付ける映像、「逃げて!」という大きな声をずっと視聴していたら、気が滅入ってしまいそう。すでに避難をしている人たちや被災地から離れている人たちが不安を抱くことにメリットは何もない。

1972年生まれのテレビの思い出 ⑤欽ちゃんの番組

 子供の頃は毎日のように欽ちゃん(萩本欽一さん)の番組を見ていた。他にもお笑い番組はいろいろあったと思うけれど、私は欽ちゃんが一番好きだった。このブログでは私が好きだった欽ちゃんの番組を振り返ろうと思う。

1.欽ドン 良い子 悪い子 普通の子 (フジテレビ 毎週月曜日夜9時~)

ハイスクールララバイ」で有名なイモ欽トリオ長江健次さん、山口良一さん、西山浩司さん)が生まれた番組。同じお題を3つのパターン(普通→良い→悪いの順番)でやって、その違いを楽しむ。

「普通」は後続へのフリなので笑いはあまり起きないのだが、私はふつお(長江健次さん)が最後に「な!」と言ってふすまを閉めるところが好きだった。また、中原理恵さんが1人3役の妻役をこなしていたのは子供心にすごいと思っていた。OLを演じたよせなべトリオ松居直美さん、生田悦子さん、小柳みゆきさん)の「大きな恋の物語」という曲も記憶に残っている。

2.欽ちゃんのどこまでやるの! (テレビ朝日 毎週水曜日夜9時~)

欽ちゃんと真屋順子さんが夫婦役で、子どもは見栄晴藤本正則さん)と三つ子(のぞみ=高部知子さん、かなえ=倉沢淳美さん、たまえ=髙橋真美さん)。お茶の間を舞台に笑いが繰り広げられる。三つ子で結成した「わらべ」が歌う「めだかの兄妹」、「もしも明日が」は人気があったので、今でも歌えると思う。

斉藤清六さんの「村の~時間の~時間です」も、クロ子(小堺一機さん)とグレ子(関根勤)のフリートークも好きだった。ゲストが食事を食べる順番を当てるコーナーも面白かったなあ。

私が忘れられないのは、ゲストの松田聖子さんが「本当に好きな食べ物は?」と聞かれて、「あじの開き」って恥ずかしそうに答えて客席が笑っていたこと。子どもの私にはさっぱり理解できなかった。アイドルはトイレに行かないって言われていた時代だったっけ。

3.欽ちゃんの週刊欽曜日 (TBS 毎週金曜日夜9時~)

週刊欽曜日といえば欽ちゃんバンド。メンバーは、欽ちゃん、小西博之さん、清水善三さん、清水由貴子さん、佐藤B作さん、風見しんごさん。どんな曲を演奏していたのかはあまり覚えていないけれど、佐藤B作さんの「き~んちゃ~ん、バ~ンド。」というくせのある言いかたは印象に残っている。

欽ドン」や「欽どこ」とは一味違う路線で面白かった。子どもの私にはちょっと背伸びしたお笑いを見ている気分だった。

4.オールスター家族対抗歌合戦 (フジテレビ 毎週日曜日夜8時~)

欽ちゃんがMCで、何組かの芸能人が家族や親せきと一緒に歌を歌う番組。古関裕而さんや近江敏郎さんも審査員として出演していた。なかでもサングラスをかけたダン池田さんをよく覚えている。

私がこの番組で忘れられないのはピーター(池端慎之介)さんが出演したとき。親戚の子に自分が男なのか女なのかをどう説明しようと言っていたような。「え、この人男なの?」と子どもの私は本当にびっくりした。

芸能人のプライベートがベールに包まれていたからこそ成り立っていた番組だなあと改めて思う。今は芸能人も一般人も家族のことをじゃんじゃんSNSで発信する時代だもんね。

5.ドキド欽ちゃんスピリッツ!! (TBS 毎週火曜日夜7:20~)

この番組で好きだったのは「世直し君」。世直し君という覆面ヒーローが活躍するアクション&コントが面白かった。放送時(1986年~1987年)、日本はバブルで豊かだったけれど、このタイミングで世直し君が出て来たというのは何か意味があったのかもしれないなあ。

確かレギュラーに辰巳琢郎さんがいて、京大卒を売りにしていた。高学歴俳優がお笑い番組に出ている、というギャップの面白さを狙ったのかもしれないけれど、私にはこの演出は違和感しかなかった。

6.欽きらリン530!! (日本テレビ 平日午後5:30~)

夕方の生放送。CHA-CHAというアイドルグループが生まれた番組。当時私は高校生だったので毎日は見られなかったが、家にいるときは楽しく見ていた。デビュー曲「Beginning」、かっこよかったなあ。

番組の内容はあまり覚えていないのだが、一般の人たちに混ざって映った田中美佐子さんがとてもきれいで、やっぱり芸能人は違うんだなあと感動した記憶が残っている。

 

 テレビをつけるといつも欽ちゃんがいて、ゲラゲラ笑って・・・。私の子供時代はそれだけで毎日楽しかった。母が欽ちゃんの大ファンだったおかげで、欽ちゃんの番組は見放題だった。お笑い好きの子供はそのままお笑い好きな50代になり、そしてこの先もずっとお笑いを見ることになるのだろう。