edamameのテレビブログ

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「ニンチド調査ショー」を見て「クイズ!年の差なんて」を思い出した話


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 先週土曜日の午後、たまたま「ニンチド調査ショー 傑作選」という番組を見た。これは、街頭で様々な年代の人に「この芸能人を知っているか」とか「錦鯉といったらお笑い芸人と魚のどちらを思い浮かべるか」などの質問に答えてもらい、スタジオの芸能人のリアクションと合わせて世代間ギャップを楽しむという趣旨のバラエティ番組だった。

 それを見て「クイズ!年の差なんて」を思い出した。「クイズ!年の差なんて」は今から30年ぐらい前に放送されていたバラエティ番組。解答者は年齢によってヤングチームとアダルトチームに分けられる。両チーム共通の出題もあったが、ヤングチームには大人にとっては簡単な問題を、アダルトチームには若者には簡単な問題を出すというのが面白かった。

 世代によって知っていることや関心が全然違う。それは当たり前と言えば当たり前のことなのだが、当時10代だった私にはそれがとても新鮮だった。

 まだインターネットがなく、テレビが一人勝ちしていた時代。私たちは多くの情報をテレビから受け取っていた。ラジオや新聞もあったけれど、やっぱりメインはテレビだった。家族が集うリビングにはテレビがあって、みんなでひとつの番組を見た。だから、テレビの人気者は国民的スターだったし、流行っている歌はみんなが口ずさめた。世代を超えて共通の話題が持てたのは、老若男女がテレビを見ていたからだったかもしれない。

 家族で「クイズ!年の差なんて」を見て、「こんなこと知らないの?」とか「今はこんなものが流行ってるんだ!」と話が盛り上がる。だから「クイズ!年の差なんて」は6年も続いたのだと思う。

 時代は流れ、いつしか令和になり、いわゆる「個」の時代となった。一人一台スマホを持った私たちは好きな時間に好きなコンテンツを楽しめるという自由を手に入れた。リビングで家族みんなで同じテレビ番組を見る時代は終わってしまった。

 「ニンチド調査ショー」を見てもあまりワクワクしなかったのは一人で見ていたからなのかもしれない、とふと思った。番組を見ながら、ああでもないこうでもない、と誰かと会話をして盛り上がることを想定して番組は作られているのかな。

 それから、私たちの心も変わってきているのだろう。みんなが知っているから知りたいとか、流行っているからキャッチアップしたいとか、そういう意識は薄くなってきた気がする。世間のものさしよりも、純粋に自分が興味があることを知りたいという気持ちが強くなっている。インターネットの普及により、ニッチなことを楽しむ機会も増えた。まさに多様性の時代。

 もしかしたらテレビが全盛期の頃のほうが不思議だったのかもしれない。国民の半分以上が見た歌番組とかドラマが存在していたというのは今の価値観では信じがたい。みんなが見るからとたいして見たくもない番組を見ていた人もいたのかなあ。それともそれしか日本には娯楽がなかったのかなあ、なんて思ってしまう。

 コロナ禍で同調圧力という言葉をたびたび耳にしているけれど、日本人は娯楽でさえ同じものを見てきたのだから、こうなるのは致し方ないというか、なるべくしてなっているというか。

 「ニンチド調査ショー」に話を戻そう。認知度は高いほうがいい、という番組の前提にも疑問が残る。認知度というのは、あくまでも知っているかどうかであって、好き嫌いは含まれていないし、たまたまインタビューした人が知っているかというだけの話である。

 認知度が低いという結果が出た芸人さんがしょんぼりする、という絵を面白いと思って制作されたのかもしれないけれど、視聴者目線では「〇〇さんは認知度が高くなかった。でも私は知っているし、好き。だから何?」である。

 きっと「クイズ!年の差なんて」が放送されていた頃は、この手の番組は面白かったんだろうなあ。あの時代だったら、さっきの映像を見ても「〇〇さんは認知度が高くなかった。え~!私好きなのに。ショック~。」みたいなリアクションをしていそう。

 もしテレビ番組を作っている人たちが今の視聴者も後者のようなリアクションをすると期待しているとしたら、ちょっと時代に合っていないかもしれない。

 今は昭和じゃなくて令和なのだ。