edamameのテレビブログ

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「きれいのくに」(8)最終回


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 見終わって毎回どんよりとした気分になる「きれいのくに」。それでも見続けたのは、自由があるようであまりない日本において若者たちがどう成長していくのかを見たかったから。希望が持てる最終回であることを願いながらドラマを見始めた。

 顔にコンプレックスを持っている凛は、一度は思いとどまった整形手術を受け清々しい笑顔を見せる。カラオケボックスパパ活の相手に暴力を振るわれたれいらは、その人と同じ顔をしている秋山を無視するのを止め、トラウマを克服しようと秋山とカラオケに行く。彼女たちは自らの意志で明るい未来を手に入れようとしていた。若者たち、強くなったね。

 このドラマは前半が整形禁止の啓蒙映画で、後半はそれを見ていた高校生の物語という構成だった。

 吉田羊さん、蓮佛美沙子さんが同一人物を演じた啓蒙映画はゾクゾクする怖さがあった。朝起きたら急に妻が若返っていた。でもそれに気が付くのは夫だけ。周囲はもちろん当の本人は鏡を見ても若返ったことが分からない。そんなことが本当にあったら怖いなと思ったら、それは作り物(映画)だったことが分かりホッとする。

 その映画は「美容整形禁止の啓蒙映画」だった。なぜ日本で美容整形が禁止になったのか、それは猫も杓子も整形をするようになったから。しかも、大多数の男性は稲垣吾郎さん顔、女性は加藤ローサさん顔になっている。大人たちのほとんどが同じ顔をしているという変な社会。そしてみんなと同じ顔になることを選ばなかった人たちは夜な夜な「きれいのくに」というお店に集まって踊ったり飲んだりして、マイノリティーの生きづらさを共有している。

 美容整形が法律で禁止になって、10代の子供たちはみなバラバラの顔をしている。マジョリティーが整形をしている大人世代と、ほとんどが整形をしていない子供世代。「子供たちの顔のコンプレックス」を整形した大人たちは自分のことのように考えることが出来ないし、「同じ顔になりたがった大人たち」を子供たちは理解できない。

 このドラマは何を伝えたかったのだろう。考えることがあり過ぎるので、箇条書きにしてみた。

・年相応よりも、若いこと、若く見えることが素晴らしいという日本人の歪んだ価値観

・マジョリティーに属さないと生きづらい世の中

・マジョリティーにいるとマイノリティーの苦しみに気が付かないこと

・大人と子供の全く交わらない価値観

・意外と他人は自分のことをたいして見ていないということ 

 このドラマを見るきっかけは「チコちゃんに叱られる!」にゲストに稲垣吾郎さんが出て、このドラマを宣伝していたことだった。吾郎ちゃんの顔がいっぱいのドラマって面白そうという軽い気持ちで見たら、それはそれは重たいドラマだった。

 「水戸黄門」の由美かおるさんの入浴シーンのように、毎回吾郎ちゃんの七変化に救われてきた。ちなみに最終回の吾郎ちゃんは、誠也の父。白いタオルをいつも頭に巻いているやんちゃ系。晩御飯のおかずの鯛は吾郎ちゃんが釣ってきたものだ。釣りが趣味だったのね。

 高校生たちが出演した映画の完成映像、凛を「きれいのくに」に連れて行った警察官がパパ活をする本当の目的、凛の整形はずっとバレないのか、など気になるところがいろいろあった。また、前半の映画と後半のリアルをもうちょっとつなげられたら、面白かったと思う。最初はドキュメンタリー仕立てのドラマなのかなと思って見ていたので、「映画だったの!」とびっくりしたまま後半に突入してしまい、後半は完全に別のドラマを見ている気分だったのが残念だった。

 もう胸がギュッと締め付けられる月曜日の夜が来ないのかと思うと、寂しいようなホッとするような。

 夏は暑くてエネルギーが必要なので、気楽なドラマがいいな。涼しくなる頃にこういうじっくり考えるドラマをまた見たい。