edamameのテレビブログ

テレビ番組の感想を思いつくまま書いてます ゆるりとした時間のおともに

今回もグサグサ胸に突き刺さる「きれいのくに」2話


スポンサードリンク

 朝起きたら突然恵理の顔が10歳ぐらい若くなっている、と夫の宏之が気づく。昔から恵理を知っている同僚や妹は、恵理がきれいになったことは分かるがその大きな変化に気づかないし、当の本人でさえ肌がきれいになったと思う程度。

 しかし、宏之は若くなった妻の顔をもろ手を挙げて喜んでいなかった。むしろ違和感と不信感と恐怖感を抱いている。

 一方、恵理は自分が10歳若返った自覚はないものの、周囲からきれいだとチヤホヤされまんざらでもなさそう。でも、夫は若くなった自分を拒んでいることにイライラしている。女性は若いほうがいいという世間の風潮のなかで、たまたま自分は若くなった。それなのにいざ若くなったら受け入れてもらえないというのは勝手すぎるのではないかと。

 恵理の顔の若返りに宏之は狐につままれたような気分だが、とりあえずやり過ごしていると、今度は恵理の顔がさらに若くなってしまった。まだ自分と出会う前の20代の妻の顔。自分の知らない妻の顔・・・2話はこれでおしまい。

 日本には特に女性に対して、若いことが何よりも素晴らしいことだという風潮があって、以前から本当に変だと思っていた。女性は若くて幼くて男性が守らなければいけない存在、であるならば、若くない女性のことを男性はどう思っているのだろう。 

 男性にはダンディーといういい言葉がある。年齢は貫禄となり、年を取ることはさほどネガティブなことではない。それなのに女性は若いほうがよいとされる。子供がいるように見えないね、が小さい子がいるママへの誉め言葉になる。細胞的に老いが始まる40代は、白髪染めをしアンチエイジングの化粧品をせっせと使い、見た目の若さを保とうとがんばる。シニアになれば若く見られなければならないことから解放される、と思いきやそうでもない。街頭インタビューでシニアに年齢を聞き、インタビュアーがびっくりした顔で「お若いですね~」というのがお決まりの流れ。

 今は白髪染めをしない「グレイヘア」という言葉も世間に浸透してきているが、実はこれは年齢を受け入れてありのまま生きよう、ということではない。白髪染めはしない代わりにきれいな髪質をキープしておばあさんに見られないようにするという、かなり高難度の年齢に対する抗いなのだ。

 人生で一度たりともきゃぴきゃぴしてこなかった私は、年相応が一番だと思っている。若作りして美しく見せるより、その人の歩んできた人生が顔に出て美しく見えるというほうが素敵だ。もし自分のために自由に使えるお金があるのなら、エステに行ったり化粧品を買ったりするのではなく、美術館めぐりに使いたい。肌よりも心に栄養が欲しいなあと思う。

 ・・・テレビブログなのに、ついつい日ごろから思っていることを書き連ねてしまった。私が恵理と同世代ということもあって、ドラマを見ているときも見終わっても何かがグサグサ胸に突き刺さってくる。こんなに余韻が残るドラマは久しぶりだ。

 さてさて、来週の「きれいのくに」は、お待ちかねの稲垣吾郎さんだらけが見られそう。「若さ」をテーマに描いた1、2話に続いて、今度は何を我々に考えさせようとしているのだろうか。今まで吾郎ちゃんは映画監督でインタビューをする役だったが、3話以降はついにあの不思議ワールドの一員になってしまうのか。

 あまり予備知識を入れずに3話を見ようと思う。