edamameのテレビブログ

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橋田壽賀子さんを忘れない


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 脚本家の橋田壽賀子さんが2021年4月4日に95歳で亡くなった。急性リンパ腫という病気だったそうだ。橋田壽賀子さんの一本筋が通っている感じが好きだった。脚本家という裏方でありながら、バラエティー番組にも多く出演していたのは、人間的にも魅力があったからだと思う。

 橋田壽賀子さんと聞くと、まず「おしん (1983年4月~1984年3月放送)」を思い浮かべる。SNSがなかった時代に「おしん」は信じられないほどのブームになった。「おしん」は一言で言うと、明治、大正、昭和を生き抜いた強くたくましい女性の物語だ。最近では「半沢直樹」が社会現象になったけれど、それよりも人気があったと思う。

 「おしん」放送当時、私は小学生だった。ふつうの小学生だったら、朝の連続テレビ小説は夏休みなどの長期休みに見るぐらいだろう。でも、私は子供時代のおしんをよく覚えている。なぜかというと、小学校の給食の時間に「おしん」を見ていたからだ。それが録画だったのか、リアルタイム視聴なのかは覚えていないが、給食の時間にドラマを見ることは、後にも先にもなかった。

 「おしん」は小学生の私の理解をはるかに超えていた。小さな女の子が「口減らし」という理由で冬の川を舟に乗って、奉公に出なければならないこと。奉公先には同じぐらいの年の女の子がいて、きれいな服を着て何不自由なく暮らしているのに、おしんはみすぼらしい服で働き続けているということ。

 おしん自身には何も非はない。ただ生まれた家が貧しかったというだけ。「おしん」が放送された38年前の日本はすでに豊かな時代だったから、おしんと同じ体験をしたという人はほとんどいないと思う。でも、苦労した人はたくさんいた。戦争を経験した人、戦後の貧しさを経験した人が、おしんと自分の人生を重ね合わせて見ていたのかもしれない。橋田壽賀子さんがこの「おしん」を通して伝えたかったことは十分に視聴者に届いたのだろう。

 「おしん」が放送されたとき、橋田壽賀子さんは57歳。1年間の朝ドラ脚本を書いていたのかと思うと、本当に頭が下がる。ちなみに「渡る世間は鬼ばかり」は1990年の放送開始なので、64歳。当時は多くの人がリタイアしている年齢だ。脚本家というクリエイティブな職業を90代になっても続け、生涯現役だった人生は素晴らしい。

 前田吟さんは、新作の「渡る世間は鬼ばかり」の脚本はほとんどできていて、7月から撮影開始と聞いていたそうだ。もしそうであればぜひ見たいと思う。