edamameのテレビブログ

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「麒麟がくる」最終回 本能寺の変


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 苦しい最終回だった。

 本能寺の変が不可避であったことはよく分かったけれど、ともに平らかな世を目指してきたはずの織田信長明智光秀。若さみなぎる二人の武将の回想シーンを見ていると、他に手立てはなかったものかと思ってしまう。

 本能寺の変のシーンは、とても見ごたえがあった。やはり武士というのはいつでも戦えるように身体ができているのだろう。寝起きなのに信長は朝でも強かった。でも、明智の軍勢は次から次へと攻撃を仕掛けてくる。それを受けて立つ信長がかっこいい。殺陣のシーンは豪華でワクワクする。うっかり信長がんばれと思ってしまったぐらいだ。もう無理だと判断した信長は光秀に首を取られまいと周辺に火を放つよう命じ、そこで死ぬことを決意する。

 光秀は本能寺の外で戦いの指揮を執っていた。本能寺の奥から煙が上がるのを見て、どう思ったのだろう。想像するだけで胸がしめつけられる。天下を取りたくて信長を討ったわけではないからだ。

 時は流れて本能寺の変から3年後のシーン。ああ、山崎の戦いでもう光秀はとっくに死んでしまったのに何を描くのだろうと思っていたら、町で駒が光秀(=十兵衛様)に似た人を見つける。追いかけるが、結局見失ってしまった。駒が見たのは幻だったのか、それとも本物の光秀だったのかは視聴者に委ねられて、「麒麟がくる」は終わった。

 この終わり方に少し救われた気がした。もし山崎の戦いでドラマが終わったなら、ああ、光秀は死んでしまった、さぞ無念だっただろうという思いで1年が終わることになる。それより、どっちつかずの終わり方というのは希望が持てていいと思う。きっと超楽観的な「光秀生きていた説」だと歴史ファンは納得できないだろうから、やはり間を取って、「光秀生きていたかもしれない説」が落としどころのような気がする。

 コロナでいろんなことを我慢していても何ら明るい光が見えてこない今、ドラマぐらい希望の光があってもいいんじゃないかな。